●6/30(日)18:00~ 渋谷 ノースマリンドライブ
「中村善郎 gui, vo ソロ・ライヴ」
ご存知渋谷の隠れ家バー、大人だけの休日ボサ・ライヴ。
(¥3,200 1drink付)東急ハンズ向い、モンベル裏手左折
渋谷区宇田川町11-2, 2F Tel 03-3476-3097
http://north-marine-drive.com
原稿書きが終わらない。毎日キーボードとの格闘。やっぱり一冊の本というのはそれなりに分量がある。そこにいろいろ他の仕事も重なって、なんだか変に追われている感じ。ヒマな時はヒマを持て余すのに、重なる時は、どうしてまたここなの?と思うぐらい同じタイミングのところに入ってくる。
僕は文系のミュージシャンなんだなと改めて思う。この間アコギ・マガジンの特集でテンション・コードの解説をやった時は、自分も結構理系な部分があるじゃん、とちょっと嬉しかったけど、あれは譜面上で動かない音を扱っていたからで、実践の場ではそんなこと殆ど意識していないし、それを説明しろ、と言われても分からなかったりする。小さなものを組み上げて行って世界を作る、ということが苦手なのだ。いつも遠くを見ながら、こんな感じ、と言った程度で、手元の事は全然意識していない、というかできない。だから譜面に書く作業やそれを説明する事が苦手。一つのフレーズを確認のためにゆっくりやり直そうとすると、テンポが違うだけなのに違ったことをやってしまったり、酷いと自分で書いたはずなのに弾けなかったりする。
さっきそれがあってちょっと落ち込んだ。奏法を説明する文章を書くために、大分前に書いた譜面を出して弾いてみたら、運指がこんがらがってしまって上手く行かなかったのだ。譜面の方を直したのだけど、最初に書いた時はそれが弾けていたはず。今回直したところも時間が経つとまた気分が変わっているかも知れない。アバウトなのは自分の長所だと思っていたけど、こうなると、ちょっと問題でもある。
ベランダの鉢植えに生えた白樺の話、結構いろいろ反響を頂いた。あれからさらに細いながら背は高くなり、葉っぱも一杯開いている。その向こうの親の樹の葉っぱも一杯に茂ってきたので、窓に目をやると、その細い幹は緑の中に埋もれて一瞬分からなかったりする。大きな葉っぱがたくさん開いているので、細い幹では支えられなくて、風が吹くと折れそうなぐらい下を向いてしまったりしている。でも放ったらかしのまま・・。ちょっとは自分の限界を知れよな・・、と思いながら見ている。
「四条の橋から」という歌、僕の大好きな曲だ。どういうわけかこの曲はいろんなヴァージョンで手元にある。勝新太郎、井上信平がプロデュースしている中村喜春、関西の芸者衆が集まって歌っているすごい昔の音源、それにリテラリオで出そうとしているSさんのもの。僕は勝新のヴァージョンが好きだが、Sさんのものも中々味わい深い。
・・四条の橋から、灯がひとつ見ゆる・・、あれは二軒茶屋の灯か、丸山の灯か・・、ええ、そうじゃえ・・、それだけの歌詞を、超スローテンポの緩やかなメロディに乗せて歌う。二軒茶屋も丸山も祇園のすぐそば。
これは忠臣蔵で有名な大石内蔵助の書いた詞らしい。忠臣蔵には大石が祇園で遊びまくるシーンが必ず出てくる。それは仇討ちの意志などないふりをして敵の目を欺くためだが、その時に書いたのがこの詞ということになっている。夜の静寂遠くにぽつんとともる灯り。近い将来仇討ちを実行に移し、そして死んで行くことを知りながら、これが最後になるかも知れない光景を心に焼き付ける・・そんな刹那さを感じさせるメロディだ。
話しは変わるが「ベサメ・ムーチョ」というラテンの代表的な曲がある。大抵の場合この曲は情熱的なエキゾチシズムを前面に出して演奏されている。そういった演奏を聴いて僕の心に浮かぶのは、ジゴロ風の男と、けばけばしい女の別れのような光景だ。お互いに未練たっぷりに最後の口づけを交わすふりをするのだが、もしかしたら心は全然別のところに行ってしまっているのかも知れない・・。
ジョアン・ジルベルトもこの曲をレコーディングしている。でも彼の演奏の解釈は他のものと全然違っている。ゆっくりと穏やかだが、その奥深くには切なさが結晶のように凝縮されている。特にメキシコでレコーディングされているヴァージョンは短いながら、それがさらに際立って感じられる。
「ベサメ・ムーチョ」の生まれてきたストーリーを知っている人は少ないだろう。この曲は病で余命幾ばくもない男が今際の際にその妻に囁いた言葉から生まれてきた曲なのだ。本当はジゴロ風の男など登場する余地もない。そういう意味ではジョアンの解釈の方が圧倒的に正しいだろう。
ジョアンの「ベサメ・ムーチョ」と勝新の「四条の橋」。僕は最初に聴いた時から殆ど同じような曲だという印象を抱いていた。その感覚は正しかったと思う。別物に見える表面を覆う音の向こうには同じ感情が流れているからだ。
やはり音楽には国境はない。
サクラ並木のトンネルにさしかかったところで、その犬はクルマの窓から顔を出し、外を見上げ始めた。まだ若そうなゴールデン・リトリバー。まだ成犬になったばかりかも知れない。大きな耳が、昔新聞社のクルマが付けていた三角の旗のようになびいている。僕のすぐ後ろを走るクルマ。その様子を僕はバック・ミラーで見ていた。
道路を覆い尽くすように立ち並んだ樹々。風と雨に散った花びらが敷き詰められている。雲が切れ明るくなり始めた空の光を浴びて、空気までがサクラ色に染まっていた。その風を浴びて金色に輝く長い毛も踊るように揺れていた。
半分空いた口もとのせいで、その犬は笑っているように見えた。初めてのものを見るように、驚きに満ちたそのひとみに、サクラ色の光が次々と流れて行く。首をちょっと左右に振りながら、そのままずっと飽きずに見上げている姿、なんだかとても嬉しそうだ。そして生きていて良かった、といったような言葉が聞こえてきそうな顔をしている。何気ない短い時間だが、こちらまで、生きていて良かった、という気分にさせてくれた。
インターネット・ラジオ局bossa2novaのジニーさんからメール。僕が送っておいたサンプルが届いた。とても気に入って、この何日かずっと聴いているとのこと。いろいろお褒めの言葉を頂いたが、うれしかったのは僕の音楽を、日本人が・・といったような注釈を付けずに、普通にボサ・ノヴァとして聴いてくれていることだ。
ジョアン・ジルベルトのレパートリーにPreconceito(偏見)いう歌がある。「・・僕の事を黒人だと言っていじめるけど・・こころには色はないんだよ・・」というような内容。ブラジルにいるとあまり表立って人種偏見のようなものはなさそうに見えるが、実はやっぱりあるのかも知れない。
心に色がないように音楽には国境がないはずだ。それは音という普遍的なものを使った表現だから。美しい音だけが意味を持つ世界。ボサ・ノヴァのように明確に、その生まれた国を色濃く反映している音楽でも同じこと。美しい音で表現できれば、ブラジル人であろうと日本人であろうと関係ない。僕はそう思いながらやってきた。そう言う意味で、彼女はまったく色眼鏡なしに僕の音楽を捉えてくれている。
よく知らなかったけど、bossa2novaは結構有名な局らしい。僕の周りでも知っている人がいる。世界中の人が聴いている。そこに僕の演奏も流してもらえそうだ。
昨日は凄い風の中横浜に行った。都内を走っているとあちこちで花吹雪の状態。サクラの季節はいつも強い風に邪魔されている気がする。
もうここでは書いていると思うけど、次号アコギ・マガジンで、ギターで弾くコードの作り方を特集することになり、僕がそれをまかされた。ここのところずっとその原稿にかかり切りになっている。その序文を今話題の「ダヴィンチ・コード」の事から書き始めた。大ベストセラー・ミステリーで近々公開される映画もトム・ハンクスが主演している大掛かりなものだ。コードは言うまでもなく暗号のこと。ダヴィンチの暗号、それがキリスト教史を覆すかも知れないほどの秘密を含んでいる・・、というのがその小説と映画のテーマらしい。それほどミステリーが好きというわけでもないが、映画はちょっと見たいと思っている。
ところで音楽で使うハーモニーを記号化したものもコードという言い方をする。ちょっと勘違いして暗号とハーモニーのコードが同じ言葉だと混同してしまった。ブラジルではcifraという単語が、暗号もハーモニーの事もさす。その事が頭にあったので英語でもそうだと思ってしまったのだ。一応原稿を最後まで書いてメールを送ったあと、ダヴィンチ・コードの映画のサイトを見ていて気づいた。暗号を示すコードはcode、ハーモニーはchordなのだ。原稿を書いているときから若干の違和感はあったけど、それはこの綴りの違いを意識の裏側で何となく感じていたからだとおもう。せっかく書いた原稿はボツだ。
悔しいので英語のコードの綴りをもう一度見直してみた。英語はやっかいな言葉だ。書いてあるアルファベットをそのまま発音してもその単語には聞こえない事も多い。ポル語はその点遥かにイレギュラーが少ない。なんでchordでコードなの・・と考えていて、気がついた。ハーモニーの方のコードもポル語と同様実は暗号を意味しているのではないだろうか。ハーモニーの組み立て方を記号化して表している意味ではやはり一種の暗号だといえるからだ。そしてそれを音楽世界の言葉だと示すためにchorus(合唱)とcodeを組み合わせてchordという単語が出来たのではないだろうか。というのが僕の出した見解だ。
今日は江古田バディでのライヴ。若手というか僕の息子であってもおかしくない歳の坂上君と、早川とのトリオ。全体の音の世界観という意味ではかなり狙い通りに演奏できたと思う。まあまあ入って頂けたお客さんの反応は上々だった、でも僕自身の出来は今ひとつ。やはり原稿ばっかりに時間をとられていて実際の演奏の事を考えるヒマがないからかも知れない。
ライヴの後帰って来てからメール開いたらアコギ・マガジン担当のハラ君から届いていた。僕の書いた原稿を手直しして使えるようにしてくれている。ダヴィンチ・コードのくだりもそのまま活かしてくれている。助かった。今回の特集は今までありそうでなかった視線でギターのコードを書いている。ボサ・ノヴァのコードが複雑で厄介だと思っているような人には決定打になるかも知れない。乞うご期待。
3/25、G−クレフでのライヴ。今までブッキングを担当していたIさんが3月一杯で退職するとのこと。彼とは最後の仕事になった。ベース、パーカッション、フルートを加えたバンド編成。全員永年の付き合いなので、全くリハをなしで本番だったけど大丈夫。モニターが良く聞こえてよかったのだが、音の立ち上がりが良すぎてかえって指の動きが止まってしまう感じがあった。なかなか難しい。ここのところライヴはやっているが、それ以外の時間デスク・ワークに追われている。ライヴの感覚が少し鈍いのかも・・。
帰りはフルートの上西さんを僕のクルマで送る。前回ETCを通るとき、怖そうに声を上げていたが、横浜新道の入り口では今回もまた同じ。でも第三京浜の出口で、前を行くタクシーがかなり徐行していたので一緒にゆっくり通ったら、スリルがないですね・・と言われた。都内に入ってから環七が大渋滞。得意の裏道を抜けて帰ってきた。
少し前にアメリカのインターネット・ラジオを主催しているジニーという人からメールを貰った。bossa2novaというボサ・ノヴァ専門局。試しに聞いてみると、延々とブラジルの曲がかかっていた。選曲の趣味も中々良い。僕の音楽に興味がある、との事なので、今日幾つかサンプルを送った。その事をメールで知らせたらとても喜んでくれて、グリーティング・カードになったお礼メールをくれた。数日で着くと思うけど、気に入ってもらえたら嬉しい。それにしても彼女(多分)は僕のプライベートなメール・アドレス(それも古い方)にメールをくれている。もう一つのオフィシャルというか仕事で使っているオープンなアドレスではないのが不思議。どうやって調べたのだろう。最近はやり取りしていないがカナダとアメリカにメル友のミュージシャンがいるので、その誰かに聞いたのかな。文字通りワールド・ワイドに展開しているステーションなので、世界中の人に聞いてもらえるチャンスが増えるかも知れない。
東北新幹線を走る、マックスやまびこ、という車両がある。2階建ての斬新なデザインとあたらし物好きの心をくすぐるようなネーミング。旅心をくすぐろうという戦略が見えるが、僕はマックスが大嫌いだ。あれはただJR側の都合だけを優先し、乗客の立場は無視して作られたものとしか思えない。2階建てにして収容人数を稼いでいるだけ。特に一階席、と言っているけど実は半地下のような席は悲惨だ。天井が低く荷物の収容スペースも少ないし、なによりも駅に停車するときのプラットフォームの下になってしまう車窓の景観は最悪。フォームを歩く人の膝から下くらいしか見えない。フォームを歩く人、特に女性などもあまりいい気分はしないと思う。乗っている自分自身はただの荷物になって運ばれているような錯覚を覚える。でも何故か東北の仕事の時はマックスでの移動、それも指定席が問題の一階の席の事が多かった。
一度ピエール・バルー氏と一緒に東北から帰って来たときにも、マックスの一階席になってしまったことがあった。彼は「なんだこれ・・」と言って出て行ったきり東京に着くまで帰ってこなかった。僕は荷物番のような格好でそのまま席で寝ていたけど、彼の気持ちは良く分かる。
僕がブラジルに憧れた大きな理由が、広い所へ行きたい・・、だった。ずっと昔の若いころ、一種閉所恐怖症のような感じになったことがあり、エレベーターやツー・ドア・タイプのクルマの後部座席に乗せられるのがキツかったこともある。そんな僕にとってはあんな車両をデザインして、マックスというような名前を付けているのが悪趣味にしか思えない。旅をする楽しみもマックスでは半減してしまう、最近はわがままを言って事前にマックスじゃない列車を選んでもらったりしている。
調布のGINZでのライヴ。ここもすごく久しぶりだ。ここのステージは少し変わっている。竪穴式住居のように掘られて一段低くなったところがステージで、お客さんは上から演奏者を見下ろす格好になるのだ。演奏する僕の視界はちょうどマックスがフォームに横付けした時のような感じになる。でもこのマックスは案外心地よかった。周りが壁で囲まれているせいで自分の音が跳ね返って良く聞こえるのだ。普段だと見失いそうになるサウンドの中心を楽につかんでいることが出来た。
トロンボーンの村田君とのデュオ。彼の音は相変わらずすごいコントロールをしていた。
3/15、スイングシティでのライヴ。久しぶりに宮野弘紀とのデュオ・ユニットである「ノス」としての演奏。「ノス」のCDをリリースしたのは94年なのでもう干支でいうと、一回りしてしまっている。でもそんな感じが全然しない。ついこの間のような気分がしてしまう。宮野氏とはその後地方のツアーや首都圏でも小さなライヴ・ハウスなどで演奏してきたが、21世紀に入った頃からは殆どやっていなかった。たまに一緒になる時も他にたくさんの楽器が入るセッションの中だったので、パーカッションの岡部洋一だけを加えたシンプルな「ノス」としての演奏は本当にひさしぶり。そこは永年一緒にやって来ている仲なので、なんとなく合わせて格好にしてしまう。スイングシティではスペースや機材の関係でエレアコを主に使っていたが、今回はアコースティック一本。やはりモニターがちょっとキツいけど我慢して演奏。
3/16、気がつくと書かないといけない原稿が山と溜まっている。アコギ・マガジンの連載、それとソロ・ギター譜面集。なんとなく両方とも一段落ついて先が見えたかな、と思っていたら、アコギの方の特集でテンション・コードのレシピのようなものを書く仕事が追加。こちらは僕が文字原稿を書く事になるとは思っていなかったので、ちょっと驚いた。それに譜面集の方も追加の曲が出て来て、先が見えたところで安心して手をつけていなかった僕としては想定外の慌ただしさ。譜面集の担当のKさんからのメールが原稿の文字数を間違えていて驚いた。一曲につき400字詰め原稿用紙10枚程度・・、それを曲数分書くと文字原稿だけでちょっとした長編小説くらいの分量。慌てて問い合わせをしたら全然違う文字数。ホッと胸をなでおろす。
3/17、リテラリオの制作になる邦楽CDのレコーディングが始まった。紫朝師匠の時もお世話になった赤坂のスタジオ。正午からスタート。僕は夕方4時過ぎに顔を出す。昨日京都から来て頂いているSさんは、その時点でもう10曲以上とっていた。その後も夜の8時くらいまで殆ど休みなしに歌い演奏している。それでも全然声の感じは変わらない。凄いタフ。艶やかな低い声が魅力的。京都弁の「さのさ」など楽しい曲が一杯ある。レコーディングの後、近くのラーメン屋に。最近流行の脂っこいラーメンではなく、ちょっと香港風の奇麗に澄んだスープの店。餃子や茹でワンタンをつまみながらガンガン生ビールをお代わりする。「京都にはこんな店ありませんわ・・」と喜ばれたが、本当かな?
3/17、朝ホテルにSさんを迎えに行き、うちに案内する。途中噂の表参道ヒルズや原宿を通る。Sさんは物珍しそうに眺めている。今回は一人の部分だけをレコーディングしたが、4月にはセッションもとることになっている。その打ち合わせなど。近くの中近東エスニック屋からテイクアウトした料理と本国でも有名なデンマーク・パンを買ってきて一緒に食事。スパイシーでヘルシー。凄く喜ばれた。6時過ぎの新幹線で帰るSさん。ギリギリの時間にスタジオから昨日録ったテイクのラフ・ミックスが出来たという電話。慌ててクルマで赤坂を通りCDを受け取り東京駅へ。絶体絶命だと思っていたけど、土曜日なのでオフィス街あたりは空いていてセーフ。無事時間に間に合った。
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