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2006年4月10日 (月)

「四条の橋から」「ベサメ・ムーチョ」

「四条の橋から」という歌、僕の大好きな曲だ。どういうわけかこの曲はいろんなヴァージョンで手元にある。勝新太郎、井上信平がプロデュースしている中村喜春、関西の芸者衆が集まって歌っているすごい昔の音源、それにリテラリオで出そうとしているSさんのもの。僕は勝新のヴァージョンが好きだが、Sさんのものも中々味わい深い。
・・四条の橋から、灯がひとつ見ゆる・・、あれは二軒茶屋の灯か、丸山の灯か・・、ええ、そうじゃえ・・、それだけの歌詞を、超スローテンポの緩やかなメロディに乗せて歌う。二軒茶屋も丸山も祇園のすぐそば。
これは忠臣蔵で有名な大石内蔵助の書いた詞らしい。忠臣蔵には大石が祇園で遊びまくるシーンが必ず出てくる。それは仇討ちの意志などないふりをして敵の目を欺くためだが、その時に書いたのがこの詞ということになっている。夜の静寂遠くにぽつんとともる灯り。近い将来仇討ちを実行に移し、そして死んで行くことを知りながら、これが最後になるかも知れない光景を心に焼き付ける・・そんな刹那さを感じさせるメロディだ。
話しは変わるが「ベサメ・ムーチョ」というラテンの代表的な曲がある。大抵の場合この曲は情熱的なエキゾチシズムを前面に出して演奏されている。そういった演奏を聴いて僕の心に浮かぶのは、ジゴロ風の男と、けばけばしい女の別れのような光景だ。お互いに未練たっぷりに最後の口づけを交わすふりをするのだが、もしかしたら心は全然別のところに行ってしまっているのかも知れない・・。
ジョアン・ジルベルトもこの曲をレコーディングしている。でも彼の演奏の解釈は他のものと全然違っている。ゆっくりと穏やかだが、その奥深くには切なさが結晶のように凝縮されている。特にメキシコでレコーディングされているヴァージョンは短いながら、それがさらに際立って感じられる。
「ベサメ・ムーチョ」の生まれてきたストーリーを知っている人は少ないだろう。この曲は病で余命幾ばくもない男が今際の際にその妻に囁いた言葉から生まれてきた曲なのだ。本当はジゴロ風の男など登場する余地もない。そういう意味ではジョアンの解釈の方が圧倒的に正しいだろう。
ジョアンの「ベサメ・ムーチョ」と勝新の「四条の橋」。僕は最初に聴いた時から殆ど同じような曲だという印象を抱いていた。その感覚は正しかったと思う。別物に見える表面を覆う音の向こうには同じ感情が流れているからだ。
やはり音楽には国境はない。

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